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2011年1月

2011年1月22日 (土)

「リーマン・ショック・コンフィデンシャル」

リーマン・ブラザーズ破綻に始まる、2008年の金融危機。その時、誰が、何を考え、どのように行動したのかについての、ニューヨーク・タイムズの記者によるノンフィクション。上下2巻構成だが、上巻はリーマンとAIGに主にスポットが当たり、下巻ではリーマン破綻後の金融システム崩壊をどう防ぐか、政府関係者と主要金融機関トップの行動が中心となって描かれている。

こういった話では投資銀行の強欲と放蕩ぶりがひたすら描かれる、というのがお約束だ。この本にも何千万ドルもかけてオフィスの自室を改装する経営幹部の話などが出てくるが、そういった即物的な話よりも、会社をいくらで誰に売るか、どの会社と手を組むかのギリギリのやり取りが面白い。

本書にはモルガン・スタンレーに三菱UFJが資本提供をする話も出てくるのだが、それ以外には日本の金融機関の話はほとんど出てこない。MUFGからモルスタに話があったとき、モルスタCFOのコルム・ケラハーはこう思う。

キンドレッドの話では、三菱はすぐに動く準備をしているという。しかしケラハーは、驚くと同時に疑問も感じた。以前にも別の日本の銀行と仕事をした経験から、日本の銀行はつねに動きが遅く、リスクを嫌い、きわめて官僚的であるという評判どおりだと思っていたからだ。

最終的にはMUFGは驚くべき早さで決断し、90億ドルの資金提供を行った。日本の金融機関に対する見方も、これによって少しは変わったのだろうか。

これ以外に日本の話がほとんど出てこないのは、著者が著者だけに無理もないことかもしれないが、それ以上に存在感がなかったのが大統領である。金融システムの崩壊という世界的なシステミック・リスクを前にしていながら、アメリカ大統領が存在感がないというのは、いかに政権末期だったとは言え、とても奇妙に思えた。

金融システム崩壊の淵に立たされる巨大金融機関トップ、政府、中央銀行。上下巻合わせて784ページと大部だが、そのうちの4分の3の話が、わずか2ヶ月程度の出来事である。そのスピード感に引き込まれる作品だった。

2011年1月 9日 (日)

生保系損保

住友生命の損保子会社、スミセイ損保が解散していた。

スミセイ損害保険株式会社

1996年の保険業法改正によって、生保は損保子会社を、損保は生保子会社を設立することができるようになった。この改正を受けて、生保(特に大手)各社は損保子会社を設立した。

  • 日本生命:ニッセイ損保
  • 第一生命:第一ライフ損保
  • 住友生命:スミセイ損保
  • 明治生命:明治損保
  • 安田生命:安田ライフ損保
  • 三井生命:三井ライフ損保

(生保の100%子会社でないものは除いた。)

さて、これらの生保系損保各社は、今どうなっているだろうか。

  • ニッセイ損保→2001年に同和火災と合併、ニッセイ同和損保(現在のあいおいニッセイ同和損保)に。
  • 第一ライフ損保→2002年に安田火災(現在の損保ジャパン)と合併。
  • スミセイ損保→2010年に三井住友海上に契約を包括移転、解散。
  • 明治損保・安田ライフ損保→2005年に合併し、現在は「明治安田損保」。
  • 三井ライフ損保→2003年に三井住友海上に契約を包括移転。

ということで、今や生保系損保として残っているのは明治安田損保だけになってしまった。

これは、損保は契約期間が1年のものがほとんどであるため、生保に比べて合併や契約移転が容易だったことが挙げられるだろう。(合併効果はたいていコスト削減によって生じるが、生保の場合は契約が数十年にわたるため、コストの中で大きな部分を占めるシステムコストの削減が難しかったり、時間がかかったりするという事情がある。)

あとは、わざわざ自前の子会社を作らずに、既存損保との協業のほうが効率がよいという判断が働いたものと思われる。実際、損保会社同士でも合従連衡が進んで、今や大手は3グループに集約されてしまった。逆に言えば、(子会社といった形で)小規模に生き残るのが難しい環境になったのだ、とも考えられる。

その意味では、次に大手生保と大手損保の間でどのような連携が生まれるのか、というところが注目点だろうか。

伊藤 計劃「虐殺器官」

タイトルだけ見て買ったのでホラーだと思ったら、近未来SFだった。

主人公クラヴィス・シェパードは、米軍の中の暗殺専門の特殊部隊に所属する大尉。彼が暗殺を試みるのは、なぜか常に虐殺の場にいる人物、ジョン・ポール。内戦や大量殺戮が起こる地域で、ジョンがとった方法とは…

リアルというか、「あってもおかしくない」近未来の描かれ方が、SFといえば宇宙とかロボット・アンドロイドを想像してしまう私には非常に新鮮だった。

タイトルから想像されるとおり、冒頭からスプラッタな場面が続出するので、そういうものが弱い人は読まないほうがいいかもしれない。その意味では読み手を選ぶかもしれないが、きれいにまとまったストーリーという点でオススメしたい。

追記

特に焼肉や焼き鳥を食べる前後でこの本を話題にするのはやめといたほうがいい。

2011年1月 8日 (土)

先生とは呼ばない

私がtwitterを始めてもう500日を超える(昨年の大晦日がちょうど500日目だった)。

Twitterに書くときに気を付けていることの中で「『先生』という呼称を使わない」ということがある。実際、twitterで「先生」という呼称を使ったのは、うっかり1回だけ使ってしまっただけだと記憶している。

言うまでもなく「先生」というのは尊称だ。なので、「先生」という表現を使うと、その発言内容を批判するのが難しくなるような気がする(できなくもないが、それはそれで皮肉のニュアンスが含まれてしまう)。

私がフォローしているのは大学教員とか会計士とか弁護士とか、世間的には「先生」と呼ばれるような方が多いので、そんな方々を「先生」と呼ばないのはひょっとすると失礼かもしれない。

ただ、「先生」と呼ばれる方々は、その専門領域に長じていることに関して尊敬されるのであって、専門領域以外の部分もすべて優れているとは限らない。Twitterのように全体の人となりが出てしまうようなところで「先生」と呼ぶことは、その人の言う事を無批判に受け入れることにつながりかねない。そのような態度への戒めとして、twitter上では私は「先生」という呼称を使わないことにしている。
(誤解のないように書いておくが、これは文字以外の情報がないtwitter上での話であって、実際にお会いするときには口調や表情を通じてニュアンスを伝えることができるので、普通に「先生」と呼ぶ。また、業務上のやり取りのように、まさにその人の専門性にのみ関わる場合も「先生」という呼称は使う。)

こんなことを考えるようになったのも、ある(「先生」と日常的に呼ばれているであろう)人物が、専門領域以外のところですごくトンチンカンなことをtweetしていたからだ。その人物には皮肉を込めて「先生」と呼んでみたいところだが、残念ながらいまだに実現していない。

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