書評:国際会計基準はどこへ行くのか
おすすめする本ではないが、「反面教師」というのはしばしば勉強になるものだ。
著者の田中教授はIFRS反対・時価会計反対の急先鋒だ。例えば時価会計については次にように批判する。
企業が持っている数百万株、数億株を一度に市場に出してもきのうの時価で全部売れるというのは、素人の無双にすぎない。しかも、日本の企業はほとんどが3月末決算である。日本の会計基準は、3月末にほとんどの企業が保有する株式が市場に一斉に出ても、時価で売れることを前提にして設定されているのである。それだけ現実離れした基準であるかが分かろう。
明らかに「時価を付す=時価で全部売ると仮定」というのが前提になっているが、時価というのはそういう考え方なのだろうか。
私の考えは、「(売るかどうかは別にして)仮に価格をつけた場合、多くの人が同意するであろう価格」が時価(IFRSでいう公正価値)なのだろうと思う。
例えば、トヨタ自動車の株を持っているとする。何の情報もなしにその株に値段をつけようと思ってもなかなか決まらないだろうが、「最近、実際に取引された値段」というのが分かっていれば、その値段を「持っているトヨタ株の価格」にするのは多くの人が同意するのではないだろうか。(非上場の株式などの場合はその価格に疑義がある場合も考えられるが、それは取引の透明性や流動性の問題であって、取引されている価格を付すこと自体とは別の問題である。)
田中教授はさらに、「そもそも含み益経営は悪いのか」というところに踏み込む。
多くの家庭には、非常時に備えた米、水、乾電池、薬、ロウソクくらいはある。農業国の民は「アリ」なので、必ず「食糧倉庫」を持っている。わが国では、江戸時代の諸藩や商家も、余裕うが出たら非常時の備えとして「蔵」にしまい込んできた。子どもでさえ「貯金箱」を持っている。これが「含み」である。「蔵の中身」をどう使うか、「含み」をどう使うかは、藩主や経営者の判断である。
時価会計は、こうした「蔵の中身」や「貯金箱」を勝手に使えないように空にしてしまおう、というのである。丸裸にされた会社の損益計算書には、現実にはその価格で売れもしない有価証券を「売れたことにして計算した利益」がたっぷり入っている。逆にバランス・シートには「売りたくても売れなかった有価証券」が「売れなかった時価」で計上されている。今度は「含み損」状態である。この財務諸表を信用して投資しようものなら、ばば抜きゲームのジョーカーをつかまされかねない。
私は、含み益を持つことは、むしろ経営者としての美徳ではないかと思う。「蔵」も「含み益」も「内部留保」も空っぽの会社にはとても安心して投資などできないし、非常時に備えた米や水、ロウソクもない家には住みたくもない。
…含み「益」だったらいいけど、含み「損」だったらどうするのだろう? 蔵であれば、開けてみたら中身が空っぽ、つまりせいぜいゼロだが、含みはゼロどころかマイナスもありうるのだ。
このほかにも「IFRSはアングロサクソンによる会計支配」とか「ギャンブラーの会計」みたいなことが載っていてとても面白い。目次を見ると「「物づくり」に適した基準を-IFRSを超えて」なんて書いてあるし。そんなことを言われてしまうと金融や保険は立場がないですね。
この本は2010年の出版だが、田中教授は2003年にも「時価会計不況」という本を出しており、時価会計に関する主張は(7年も間が空いているのに)ほぼ変わっていない。
どちらの本でも(「時価会計不況」のほうが新書だけに易しく書いている感はある)、著者の意見に対して自分ならどのように答えるか、と考えながら読むと勉強になるのではないだろうか。
さて、明日、図書館に返しに行こう。
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コメント
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含み益のみしか考えない教授がいたり、所得のみしか考えない教授がいたり日本でしか通用しない理論がかっぽする不思議な国日本のようです。
投稿: AY | 2011年9月19日 (月) 05時22分