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2017年10月

2017年10月23日 (月)

映画「ドリーム」

映画というものはたいてい何かしら「クセ」が強くないとおもしろくないもので、そのため万人におすすめできる映画というのはそうそうないものです。この「ドリーム」という作品は、その意味では万人向けの映画でありながらおもしろい、という稀有な作品と言えるかもしれません。少なくとも、「『文科省推薦』と書かれそうだな」と思いながら観た映画がこんなにおもしろいという経験は、私にとって初めてのものでした。

舞台は1960年代初頭のNASA、そこで働く3人の黒人女性、キャサリン・ジョンソン、ドロシー・ヴォ―ン、メアリー・ジャクソンが主人公です。人種差別が当然のようにあった時代で、彼女らが行くオフィスの入口にいきなり「COLORED」と書かれていることにまずギョッとします。が、当然ながら差別されているのはオフィスにとどまらず、バスの座席からトイレまで白人と非白人の区別があります。これが時代背景その1。

そしてこの時代は、ソ連との宇宙開発競争が最も激しい時代でもありました。しかもソ連は1957年に初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功し、1961年に初の有人宇宙飛行を成功させてガガーリンに「地球は青かった」と言わしめ、NASAとしてはこれ以上後塵を拝することが絶対に許されなかった時代です。これが時代背景その2。

また、当時は"computer"という単語はまさに「計算する人、計算手」という意味でした。昔の保険会社の経理部門にはそろばん十段といった人がいましたが、数学的素養を備え、計算をなりわいとする人々のことをcomputerと呼んでいたのです。映画の中ではちょうどIBMが(現在の意味での)コンピューターを開発してNASAに納入するのですが、映画中では「コンピューター」と呼ばれず「IBM」と呼ばれていた、そんな状況が時代背景その3になります。

この3つの時代の変化に対して自分たちの才能と実力をもって立ち向かい、あるいはうまく利用していく彼女らの姿は、まさに痛快というほかありません。彼女らの痛快な活躍ぶりは実際に映画をご覧いただくほうがよいかと思いますので、ここでは彼女らを取り巻く人物について少し思ったところを記します。

まずキルティン・ダンスト演じるヴィヴィアン・ミッチェル。彼女はドロシーら黒人計算手チームの上司です。今では非白人が使ってはいけないトイレがあるなんてそれこそ大炎上ものですが、当時はそれが当たり前でした。その意味でヴィヴィアンが当時の「常識人」であったことがこれでもかと描かれているわけですが、自分たちの常識がつねに常識であると考えてはならない、ということを改めて気付かされる存在でした。

もう一人は、ケビン・コスナー演じるハリソン本部長。キャサリンは黒人女性として初めてハリソン本部長の部署に採用されるのですが、白人男性ばかりの周囲からは非協力的な態度をとられ、またその部署に有色人種用のトイレがないばかりに毎日別の棟へと走る羽目になります。そんなとてつもなく非効率的な職場環境の中できっちり仕事をやり遂げるキャサリンの才能をハリソン本部長は認め、彼女のために前例のないことを次々と行います。これは差別撤廃への取り組みというより、何としてでも有人宇宙飛行を成功させるという「信念」のなせる業といったほうがいいように思います。

差別との戦い、というといかにも説教くさく聞こえますが、この映画はそんなことを微塵も感じさせません。それは、ハリソン本部長と同じように、キャサリン・ドロシー・メアリーの3人が「自分の果たすべきことは何か」「そのために何をすべきか」を貫いた、その「信念」を描いた映画だからだと思うのです。

とにかく、一見の価値ありの映画です。

映画の原作本です。そういえば邦題はもともと「ドリーム 私たちのアポロ計画」だったのが、内容にアポロ計画がほとんど関係ないということで大炎上して単に「ドリーム」になったのでした(ちなみに原題は"Hidden Figures")。そんなに無理に「アポロ計画」と入れるよりはこの原作本タイトルのほうがよかったようにも思います。「計算手」はちとマイナー感ありますが…

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