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2018年10月30日 (火)

書評:保険業界戦後70年史

(2018.11.5 社名の誤りを訂正しました。ご指摘ありがとうございました。)

戦後の生損保経営史をつづった本。これはマニアックですよ。

戦争被害からの第二会社の設立から高度経済成長、バブルを経て、失われた20年までの生保・損保業界が詳しく述べられています。

著者の九條守氏はおそらく損保業界の人なのでしょう、どちらかといえば損保のほうが詳しく書かれていますが、生保も、特に営業体制の歴史が概観できたのは有益でした。

明治の創業期の生保の営業は、 生命保険事業というものに関する世間の理解がまだ浅いことを理由に「名家・紳商等」、つまり知識層・富裕層を相手にした代理店扱が主であったとのことです(ただし第一生命は経費節減のため代理店扱を採用しなかった)。これに対して小口・月掛の簡易保険事業が国による独占事業として営まれていたわけですが、戦後、国による独占が解除されても、事業費効率の観点から民間生保各社は小口・月掛への進出をためらっていたという話は耳新しかったです。

また、このブログでも以前に取り上げた「戦争未亡人の雇用による女性営業職員の増加」が俗説かどうかという話ですが、本書では上記の小口・月掛への進出に関連して、以下のように書かれています。

生命保険各社の「月掛保険」は販売好調だったのですが、やはり当初懸念したとおり、この毎月の保険料を集金する業務が、契約件数が増加するに従って、保険会社の悩みの種になってきました。(略)

そこで、生命保険会社は、保険料の集金業務に特化したパート従業員を雇用することにしました。これらのパート従業員は、主に戦争未亡人が採用されました。終戦直後で働き口も非常に少ない状況の中、生活に窮していた戦争未亡人には、集金だけをして報酬を貰える仕事は魅力的でした。(略)

1951(昭和26)年に、明治生命保険は、集金業務をしていた女性パート従業員に保険募集も任せ、女性外務員として営業活動を行うことを始めました。その際、明治生命保険は、米国プルデンシャル社と提携し、同社の「デビット・システム」を導入しました。(P88-90)

米山先生の「戦後生命保険システムの改革」では女性営業職員の増加が昭和30年代に入ってからとのヒアリングに基づいていることを考えると、戦後すぐは戦争未亡人は営業ではなく集金を行っており、昭和26年から会社が営業への活用も行うようになったという本書の記述はいろいろとつじつまが合います。

他にも興味深く読んだ部分は多いのですが、いくつか残念な点が。

まずは誤植が多い。「ジブラルタ生命」が「ジブラルタル生命」になっていたり、「アメリカン ファミリー ライフ アシュアランス カンパニー オブ コロンバス日本支社」が「アメリカン・ファミリー・アシュアランス・オブ・コロンバス日本支社」になっていたり「更生特例法」が「更正特例法」になっていたり。

また、相互会社の資金調達について

資金調達が、株式会社は自社の株式発行で比較的容易であるが、相互会社は利子返済義務がある基金を機関投資家等から募る必要があり困難。(P30)

とありますが、証券化手法を用いた基金募集が主流になった現在ではやや古い議論かなと思います。相互会社についてはほかにも大和生命の破綻に関連して

相互会社であれば、保険契約者に高リスクの負担を強いるような大胆で無謀な経営は行うことが難しく、安全・慎重に臨むような経営をすると考えられますが、株式会社の場合は、株主が利益の最大化を求めるため、ハイリスク・ハイリターンの危険な経営をするおそれがあるというのです。これは、株式会社化が裏目に出て、株式会社化が破綻の要素となった不幸なケースだったのかもしれません。 (P295)

と書かれているのですが、1997~2000年に破綻した生保の多くは相互会社でしたよね?

そして一番首をかしげたのはこの部分。

1999(平成11)年度の時点における生命保険会社の保険料等収支状況(保険料等収入から保険金等支払金を差し引いた額)を見ると、大半の会社(日産生命保険は既に破綻)はマイナスであり、「逆ザヤ」状態でした。プラスを維持している生命保険会社は、大手は日本生命保険と安田生命保険の2社、中堅生命保険会社は太陽生命保険、大同生命保険、富国生命保険の3社だけだったのです。 (P160)

こんな「逆ザヤ」の定義は、少なくとも私は聞いたことがありません。百歩譲ってネットキャッシュフローを簡易的に算出しようとしたのだとしても、事業費と資産運用からのキャッシュフローが抜けてますし…

ちなみに「生命保険会社のディスクロージャー虎の巻」では、生命保険業界の逆ざや額の定義は次のようになっています。

順ざや/逆ざや額=(基礎利益上の運用収支等の利回り-平均予定利率)×一般勘定責任準備金

まあそんなわけで財務的な部分はちと首をかしげる部分もあるものの、保険業界の歴史は多くが公式資料に基づいた「カタい」話になりがちなところ、護送船団行政の中での商品認可に関する大蔵省(当時)と各社の綱引きであるとか、2000年前後における生損保両方を巻き込んだ業界大再編の構想といった『業界ウラ話』的な要素も多分に含まれていて、楽しく読ませていただきました。

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コメント

“まずは誤植が多い。「ジブラルタ生命」が「ジブラルタル生命」になっていたり、「アメリカン・ファミリー・ライフ・アシュアランス・オブ・コロンバス日本支社」が「アメリカン・ファミリー・アシュアランス・オブ・コロンバス日本支社」になっていたり"

こちらも誤植で、アメリカン ファミリー ライフ アシュアランス カンパニー オブ コロンバス 日本支店ですね。

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