映画・テレビ

2020年2月 1日 (土)

映画「パラサイト 半地下の家族」

カンヌ国際映画祭で、韓国映画としては初のパルムドールを受賞した作品、『パラサイト 半地下の家族』を観てきました。以下ネタバレ含むのでご注意を。


半地下の家に住む貧しい家族、キム一家。便器が一家の目の位置より上にあるような家で、4人家族の全員が失業中であり、インターネットは近隣の家のWi-Fiの「おこぼれ」を拾ってつなぐような有様。そんな中、長男のギウは大学受験に失敗しつづけているにもかかわらず、友人の大学生ミニョクから家庭教師の仕事を紹介されます。家庭教師先は高校2年生の女の子、パク・ダヘ。ダヘの家庭教師はミニョクがやっていたのですが、留学のためギウに代わってほしいと言ってきたのです。


ギウは妹のギジョンの手を借りて大学の入学証書を偽造してもらい、有名大学の学生としてダヘの家庭教師を始めます。ダヘの家は高台にある有名建築家の建てた家であり、ダヘはIT企業の社長の娘でした。ダヘとダヘの母親からの信頼を獲得したギウは、ダヘの弟ダソンの美術の家庭教師として、身分を偽った妹のギジョンを送り込みます。さらに父親を運転手に、母親を家政婦に送り込んで、裕福なパク一家に「パラサイト」することとなります。


パク一家が泊りがけのキャンプに出かけた日、すっかり有頂天になったキム一家が、留守となったパク家で自宅のように振舞って酒盛りをしていると、前の家政婦ムングァンがインターホンを鳴らします。追い出したはずの前の家政婦の訪問に訝しみながらも家へと入れると、ムングァンは誰も知らなかった秘密を明らかにします…


観ている中でいくつかの作品が思い浮かびました。一家で犯罪行為を重ねる様は、同じくパルムドール受賞作の『万引き家族』を感じさせましたし、善良な一家をだますというダークな側面は『クリーピー 偽りの隣人』を彷彿とさせる部分がありました。しかし物語が進むにつれ、それらのどれともまったく似ていない作品であることがわかりました。


この作品は何といっても貧乏なキム一家と裕福なパク一家の対比が見事であり、そこには韓国に横たわる強烈な貧富の格差を感じます。韓国は1997年に通貨危機に陥ってIMFの救済を受けた際、猛烈な経済・財政のリストラを経験したことから、貧富の差が大幅に拡大しました。本作ではその格差が、キム一家の住む「半地下」とパク一家の住む「高台」で象徴的に表されています。この点、上述のキャンプの日、大雨のためキャンプを中止してパク一家が戻ってきたことから慌ててパク家を脱出して帰るキム一家が階段を延々と降りる部分の描写が本当に見事です。


もう一つ、「におい」という要素が本作のカギを握ります。パク家にうまくパラサイトしたキム一家に対し、パク家の息子が、美術家庭教師と運転手と家政婦のにおいが似ていると指摘され、緊張が走るシーンがあります。また、キム父(キム・ギテク)に運転された車に乗っているパク家の宗主、IT企業の社長であるパク・ドンイクがたまに顔をしかめます。ギテクからする「におい」のためです。このようにキム一家のにおいは貧乏の象徴としてのにおいであり、ドンイクには「古くなった切り干し大根のよう」と例えられます。ドンイクにおそらく悪意はないものの、それを聞いてしまったギテクは、パク一家との「身分の違い」を突き付けられた気持ちになったのではないでしょうか。


パク家で酒盛りをしている中、長男のギウは「将来、ダヘと結婚したい」と夢を語ります。しかし、ギウの実の父親と母親は偽名を使ってそれぞれ運転手と家政婦になっているため、ギウは「結婚式には偽の父親と母親が必要だ」と言い出します。実の両親にしてみればかなりショックな発言だと思いますが、ギウがそれを気にしている様子はありません。おそらくこれも、貧富の差が固定された社会が当然となっているギウと、IMF救済前を知るギテクとの違いであり、ギテクにとっては自分の息子がそのように生きていかざるを得ない社会への怒りとなったのではないか、と感じられます。


明るい話ではないのでおすすめをするのがためらわれる作品ではあるのですが、韓国社会の今がよく見えますし、ストーリー中のどんでん返しも韓国ならではの部分があり、映画館に足を運んだ甲斐のある作品でした。


2018年12月31日 (月)

2018年に観た映画(私的)ランキング

年末の備忘エントリ、今年も書きます(某パイセンに「お前のブログのアクチュアリー関係のエントリは読まないが、映画のエントリは読んでる」と言われたので)。今年は年後半に失速して、49本でした。例年通り、観たその時につけた評価を基本にしていて、今にして思うと「?」となる評価ランクのものが多少見られますが、いろいろな側面があるものを一つのランキングにすること自体にそもそも無理あるのであえて直してません。

  1. バーフバリ 王の凱旋
  2. バーフバリ 伝説誕生
  3. 機動戦士ガンダム THE ORIGIN 誕生 赤い彗星
  4. 15時17分、パリ行き
  5. シェイプ・オブ・ウォーター
  6. 万引き家族
  7. ゲティ家の身代金
  8. 孤狼の血
  9. 若おかみは小学生!
  10. 勝手にふるえてろ
  11. search/サーチ
  12. 輝ける人生
  13. ダンガル きっと、つよくなる
  14. ウインド・リバー
  15. グレイテスト・ショーマン
  16. 恋は雨上がりのように
  17. 時間回廊の殺人
  18. 殺人者の記憶法
  19. カメラを止めるな!
  20. デトロイト
  21. スリー・ビルボード
  22. バッド・ジーニアス 危険な天才たち
  23. プーと大人になった僕
  24. 未来のミライ
  25. ラブレス
  26. ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書
  27. 犬猿
  28. 羊の木
  29. スターリンの葬送狂騒曲
  30. 焼肉ドラゴン
  31. レディ・バード
  32. ナチュラルウーマン
  33. オリエント急行殺人事件
  34. 運命は踊る
  35. ゲッベルスと私
  36. ミッション:インポッシブル/フォールアウト
  37. ウィンストン・チャーチル /ヒトラーから世界を救った男
  38. オーシャンズ8
  39. モリーズ・ゲーム
  40. 坂道のアポロン
  41. リズと青い鳥
  42. ちはやふる -結び-
  43. キングスマン:ゴールデン・サークル
  44. 人魚の眠る家
  45. ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生
  46. 嘘を愛する女
  47. 億男
  48. サニー/32
  49. 修道士は沈黙する

上位5本はほぼ甲乙つけがたい感じですが、「バーフバリ」のトップは動かないですね。あれはとにかく大スクリーン、大音響で見てください!感が最高です。インド映画のこのわくわく感は「ムトゥ 踊るマハラジャ」以来ですね。似たような作品としては「グレイテスト・ショーマン」が挙げられます。話の流れがいま一つだったので評価が低めですがサントラは買いました。頭をからっぽにしてリラックスして観るにはおすすめの作品です。

来年も素晴らしい作品に数多く出逢えますように。

2017年12月31日 (日)

2017年に観た映画(私的)ランキング

さて、去年も書いたこのエントリ。誰得なのは百も承知で今年も備忘のため書いておきます。今年は、新作映画としては81本観たので、ランキングは81!通り(5×10120通り)となり、もはや見直す気力もありません。上位の方は後付けでちょっと直しましたが、まあ雰囲気程度のものだとお考えください。なお、リンクがあるのは鑑賞時にブログエントリとして載せたものです。

  1. ドリーム
  2. ベイビー・ドライバー
  3. gifted/ギフテッド
  4. バーニング・オーシャン
  5. 虐殺器官
  6. ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ
  7. 新感染 ファイナル・エクスプレス
  8. ゴールド/金塊の行方
  9. マンチェスター・バイ・ザ・シー
  10. 三度目の殺人
  11. 劇場版 響け!ユーフォニアム 届けたいメロディ
  12. パトリオット・デイ
  13. ダンケルク
  14. 3月のライオン 後編
  15. ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦
  16. 百日告別
  17. 世界は今日から君のもの
  18. 夜は短し歩けよ乙女
  19. スパイダーマン ホームカミング
  20. LOGAN ローガン
  21. サバイバルファミリー
  22. 沈黙ーサイレンスー
  23. 否定と肯定
  24. 探偵はBARにいる3
  25. ラ・ラ・ランド
  26. 愚行録
  27. ショコラ 君がいて、僕がいる
  28. 幼な子われらに生まれ
  29. ヒトラーへの285枚の葉書
  30. セールスマン
  31. ひるね姫 〜知らないワタシの物語〜
  32. 女神の見えざる手
  33. BLAME! ブラム
  34. 3月のライオン 前編
  35. サーミの血
  36. 機動戦士ガンダム THE ORIGIN 激突 ルウム会戦
  37. しあわせな人生の選択
  38. 皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ
  39. 甲鉄城のカバネリ 総集編 前編 集う光
  40. 彼女がその名を知らない鳥たち
  41. ワンダーウーマン
  42. 午後8時の訪問者
  43. ReLIFE
  44. ブルーハーツが聴こえる
  45. ザ・コンサルタント
  46. 甲鉄城のカバネリ 総集編 後編 燃える命
  47. ガールズ&パンツァー 最終章 第1話
  48. 散歩する侵略者
  49. ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章
  50. ヒトラーに屈しなかった国王
  51. ギフト 僕がきみに残せるもの
  52. エル ELLE
  53. ライフ
  54. ジョン・ウィック:チャプター2
  55. ちょっと今から仕事やめてくる
  56. 美女と野獣
  57. メッセージ
  58. ゴースト・イン・ザ・シェル
  59. アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発
  60. 僕と世界の方程式
  61. スター・ウォーズ/最後のジェダイ
  62. ブレードランナー 2049
  63. 雨の日は会えない、晴れた日は君を想う
  64. 心が叫びたがってるんだ。
  65. 彼女の人生は間違いじゃない
  66. TAP THE LAST SHOW
  67. アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男
  68. ソウル・ステーション パンデミック
  69. きみの声をとどけたい
  70. 東京ウィンドオーケストラ
  71. 恋妻家宮本
  72. パッセンジャー
  73. パーティで女の子に話しかけるには
  74. 草原の河
  75. ハクソー・リッジ
  76. 全員死刑
  77. GODZILLA 怪獣惑星
  78. 追憶
  79. メアリと魔女の花

「光」が38位と77位にありますがこれは間違いではなく、38位のほうが河瀬直美監督の「光」、77位のほうが大森立嗣監督の「光」です。

今年観た映画を振り返ってみて、感想をいくつか。

  • 漫画原作の実写化はしばしば批判の対象となりますが、「3月のライオン」といい、「ジョジョの奇妙な冒険」といい、意外に悪くなかったように思います(ただし「鋼の錬金術師」を観たら感想が変わるかもしれません)。
  • 「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」といい、「ブレードランナー 2049」といい、「GODZILLA 怪獣惑星」といい、大ヒット映画の続編的な作品は、私にとっては総じて残念な結果でした。前作からの期待が大きすぎたのか、そもそも私が期待していた方向そのものがズレていたのか…
  • 新作ではないので上のランキングには載せませんでしたが、今年劇場で観た映画の中で最も圧倒されたのは、原一男監督の「ゆきゆきて、神軍」でした。ベストとかワーストとかそういうランキングで収められないような作品で、まさにドキュメンタリーの真骨頂、すごい「圧」を感じる映画でした。

観た本数そのものが目的ではないので「来年は100本!」などとは言いませんが、来年も素晴らしい作品に数多く出逢えますように。

2017年12月14日 (木)

映画「gifted/ギフテッド」

フロリダのボート修理工フランク・アドラーのもとで育てられる7歳の女の子、メアリー。普通の女の子かと思いきや、彼女は数学に関して天才的能力を持つ「ギフテッド」でした。フランクは、天才数学者であった姉ダイアンの遺児であるメアリーを「普通の子供」として育てようとします。しかし周囲はメアリーの数学的才能を放ってはおかず、ギフテッド教育の充実した学校に転校させようとします。そして彼女の才能に最も執着する祖母イブリンとフランクとの間に、メアリーをめぐる親権争いの裁判が起こされます…

本作品ではメアリーの叔父であるフランクと、メアリーの祖母であるイブリンとの間の親権争いということで、親族関係がやや複雑ではあるものの、子供が男性の養育者になついており、かつ男性側が(特に経済的に)不利な条件での争いを強いられるという点では、親権争いの名作「クレイマー、クレイマー」のテッドとビリーを彷彿とさせるところがあります。

一方で子供が5歳の男の子だった「クレイマー、クレイマー」に対して本作「gifted/ギフテッド」は7歳の女の子ということもあって、養育者である叔父に対してませた口をきいたり、意見を言ったりする場面がしばしば見られます。このあたりはこの作品の醍醐味だと思いますのでぜひ劇場でご覧になってください。

「gifted/ギフテッド」はドラマとして十分に楽しめる作品になっていますが、このブログを読むような方に対しての魅力としてもう一つ「数学」というものが挙げられるでしょう。メアリーの亡き母ダイアンが挑戦していたのはミレニアム問題の一つナビエ・ストークス方程式であり、祖母イブリンがメアリーにミレニアム問題を説明する場面では、ポアンカレ予想を解いたグリゴリー・ペレルマンにも触れられます。ほかにも「トラハテンベルグ法」(ネタバレになるのであえてリンクは張りません)とか、さらにみなさんがおなじみの(本当におなじみの)式の証明にメアリーが取り組ませられる場面も現れたりして、いろいろとツボにハマります。

そして一番驚いたのは、エンドロールに数学面でのコンサルタントがクレジットされており、その中に2006年のフィールズ賞を受賞した「テレンス・タオ」の名前が! こういうところでプロフェッショナル、しかも超一級の数学者が参加するあたり、さすがとしか言いようがありません。(ちなみにコンサルタントの名前はたしか4人挙がっていたのですが、あとの3人が記憶に残ってません。ご覧になった方はお教えください。)

なお、映画自体はそれほど数学の内容に突っ込んだものはありませんし、数学を知らなくてもドラマとして十分に面白いです。フランク役のクリス・エヴァンス、メアリー役のマッケナ・グレイスの演技は本当に素晴らしいですし、フランクとメアリーの良き隣人として、先日ご紹介した「ドリーム」のオクタビア・スペンサーが出ており、これまたいい味を出してます。おすすめです。

2017年10月23日 (月)

映画「ドリーム」

映画というものはたいてい何かしら「クセ」が強くないとおもしろくないもので、そのため万人におすすめできる映画というのはそうそうないものです。この「ドリーム」という作品は、その意味では万人向けの映画でありながらおもしろい、という稀有な作品と言えるかもしれません。少なくとも、「『文科省推薦』と書かれそうだな」と思いながら観た映画がこんなにおもしろいという経験は、私にとって初めてのものでした。

舞台は1960年代初頭のNASA、そこで働く3人の黒人女性、キャサリン・ジョンソン、ドロシー・ヴォ―ン、メアリー・ジャクソンが主人公です。人種差別が当然のようにあった時代で、彼女らが行くオフィスの入口にいきなり「COLORED」と書かれていることにまずギョッとします。が、当然ながら差別されているのはオフィスにとどまらず、バスの座席からトイレまで白人と非白人の区別があります。これが時代背景その1。

そしてこの時代は、ソ連との宇宙開発競争が最も激しい時代でもありました。しかもソ連は1957年に初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功し、1961年に初の有人宇宙飛行を成功させてガガーリンに「地球は青かった」と言わしめ、NASAとしてはこれ以上後塵を拝することが絶対に許されなかった時代です。これが時代背景その2。

また、当時は"computer"という単語はまさに「計算する人、計算手」という意味でした。昔の保険会社の経理部門にはそろばん十段といった人がいましたが、数学的素養を備え、計算をなりわいとする人々のことをcomputerと呼んでいたのです。映画の中ではちょうどIBMが(現在の意味での)コンピューターを開発してNASAに納入するのですが、映画中では「コンピューター」と呼ばれず「IBM」と呼ばれていた、そんな状況が時代背景その3になります。

この3つの時代の変化に対して自分たちの才能と実力をもって立ち向かい、あるいはうまく利用していく彼女らの姿は、まさに痛快というほかありません。彼女らの痛快な活躍ぶりは実際に映画をご覧いただくほうがよいかと思いますので、ここでは彼女らを取り巻く人物について少し思ったところを記します。

まずキルティン・ダンスト演じるヴィヴィアン・ミッチェル。彼女はドロシーら黒人計算手チームの上司です。今では非白人が使ってはいけないトイレがあるなんてそれこそ大炎上ものですが、当時はそれが当たり前でした。その意味でヴィヴィアンが当時の「常識人」であったことがこれでもかと描かれているわけですが、自分たちの常識がつねに常識であると考えてはならない、ということを改めて気付かされる存在でした。

もう一人は、ケビン・コスナー演じるハリソン本部長。キャサリンは黒人女性として初めてハリソン本部長の部署に採用されるのですが、白人男性ばかりの周囲からは非協力的な態度をとられ、またその部署に有色人種用のトイレがないばかりに毎日別の棟へと走る羽目になります。そんなとてつもなく非効率的な職場環境の中できっちり仕事をやり遂げるキャサリンの才能をハリソン本部長は認め、彼女のために前例のないことを次々と行います。これは差別撤廃への取り組みというより、何としてでも有人宇宙飛行を成功させるという「信念」のなせる業といったほうがいいように思います。

差別との戦い、というといかにも説教くさく聞こえますが、この映画はそんなことを微塵も感じさせません。それは、ハリソン本部長と同じように、キャサリン・ドロシー・メアリーの3人が「自分の果たすべきことは何か」「そのために何をすべきか」を貫いた、その「信念」を描いた映画だからだと思うのです。

とにかく、一見の価値ありの映画です。

映画の原作本です。そういえば邦題はもともと「ドリーム 私たちのアポロ計画」だったのが、内容にアポロ計画がほとんど関係ないということで大炎上して単に「ドリーム」になったのでした(ちなみに原題は"Hidden Figures")。そんなに無理に「アポロ計画」と入れるよりはこの原作本タイトルのほうがよかったようにも思います。「計算手」はちとマイナー感ありますが…

2016年12月30日 (金)

今年観た映画(私的)ランキング

ここ数年、わりとこまめに映画を観るようにしています。今年は48本の作品を劇場で観ました。(複数回観ているものがあるので、劇場に足を運んだ回数はそれより多いですが)

で、年末でもあり、備忘を込めて、個人的な年間ランキングです。ランキングといっても、作品の良し悪しについて云々できるほどの映画眼もありませんので、多分に個人の感覚によるものです。そもそも今もこのランキングを眺めながら「こっちのほうが上位じゃないか…」みたいなことを悩み出していたりもするのですが、きりがなさそうなので暫定版ということで。

  1. シン・ゴジラ
  2. 映画 聲の形
  3. 海よりもまだ深く
  4. この世界の片隅に
  5. ちはやふる 下の句
  6. オデッセイ
  7. 永い言い訳
  8. ガールズ&パンツァー 劇場版
  9. ヒトラーの忘れもの
  10. 君の名は。
  11. ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー
  12. ハドソン川の奇跡
  13. マネー・ショート 華麗なる大逆転
  14. 64 ロクヨン 前編
  15. ブリッジ・オブ・スパイ
  16. スポットライト 世紀のスクープ
  17. ヤクザと憲法
  18. 湯を沸かすほどの熱い愛
  19. ちはやふる 上の句
  20. 機動戦士ガンダム THE ORIGIN III 暁の蜂起
  21. アイアムアヒーロー
  22. 何者
  23. 奇蹟がくれた数式
  24. 劇場版 響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部へようこそ
  25. ズートピア
  26. 怒り
  27. 葛城事件
  28. 高慢と偏見とゾンビ
  29. 機動戦士ガンダム THE ORIGIN IV 運命の前夜
  30. ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅
  31. 完全なるチェックメイト
  32. 帰ってきたヒトラー
  33. クリーピー 偽りの隣人
  34. マネーモンスター
  35. 二重生活
  36. 聖の青春
  37. ジャック・リーチャー NEVER GO BACK
  38. インデペンデンス・デイ:リサージェンス
  39. エクス・マキナ
  40. X-MEN:アポカリプス
  41. さらば あぶない刑事
  42. ピンクとグレー
  43. 四月は君の嘘
  44. アズミ・ハルコは行方不明
  45. バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生
  46. 蜜のあわれ
  47. 64 ロクヨン 後編
  48. 超高速!参勤交代 リターンズ

今年は、原作を知っている/知らない で、映画を観た時の感想が大きく違いそうな作品がいくつかみられました。例えば「聲の形」、「この世界の片隅に」、「何者」などはそんな印象を持っています。先入観が入ると楽しめないだろうと考え、私はなるべく原作を知らない状態で観るようにしていたのですが、原作を知った上で観ることによってまた異なった楽しみ方ができる、というのは新たな発見でした。

来年も素晴らしい作品に数多く出逢えますように。

2016年8月15日 (月)

シン・ゴジラにおける生保保険金支払い(ネタバレ全開)

大評判の映画「シン・ゴジラ」、観に行ってきました。いやーすごいです。ここんとこずっと頭の中でこの映画の音楽が流れっぱなしです。

で、このブログであれば当然「ゴジラによる被害に伴う保険会社の保険金支払いはどの程度になるか?」ということをエントリにしたくなります。

これはとりもなおさず「ゴジラがどのように暴れ回るか」を明らかにすることですので、ネタバレ全開です。まだ観ていない方は観てからこのエントリを読んでください。

第1形態

ゴジラ(ここではまだ「巨大不明生物」)のしっぽが東京湾アクアライン付近に現れる場面です。アクアラインで崩落事故が発生しますが、大河内首相が「死者は出ていないんだろう?」ということから、人的被害は軽微であることが分かります。災害入院給付が多少あるかもしれませんが、とりあえず金額軽微とします。海上保安官に重軽傷者が出ていますが、これは職務上の傷病のため民間保険会社の出番はないものとしましょう。

第2形態~第3形態

ゴジラ(ここでもまだ「巨大不明生物」)が多摩川に入り、呑川を遡上して蒲田から上陸、品川まで行ったところで急に東京湾に戻るまでです。この上陸に関しては翌日のニュースで「死者・行方不明者は100人を超え」たと報じられていますので、死者100名とします。

生命保険協会の統計によれば、2015年3月末保有契約ベースでの東京都の平均保険金額(個人保険)は619.4万円。ただし、1人で複数加入しているケースがあります。2015年3月末の東京都の保有契約数が1,730万件であるのに対して、2014年10月末の東京都の人口は1,339万人であるため、おおむね1人あたり1.3件加入していることになります。この分を考慮すると、東京都の人口1人あたりの保険金額は約800万円。したがって100人だと約8億円となります。

上記は個人保険の金額なので、団体保険を加えます。団体保険に関しては、東京都は被保険者数178百万人に対して保有保険金額が252.6兆円なので、1件あたり約140万円。団体保険の重複加入は考えにくいのでこれの100人分として1.4億円。

ここまで災害関係の特約が含まれていませんので、その金額を加味する必要があります。2015年3月末時点での個人保険保有契約(全国)は857兆円、それに対する災害死亡保障の金額は148兆円(災害保障特約+災害割増特約+傷害特約)、したがって個人保険の保険金1あたりの災害死亡保険金額は0.17となります。つまり上記の8億円の0.17倍で、災害死亡保険金額は約1.4億円となります。

次に災害入院保障です。災害入院者数は死亡者数の1.5倍程度、入院日数は10日と見積もってみます。1件あたりの災害入院日額は約6,000円ですので、災害入院による給付金支払見積額は1,200万円程度となります。

以上を合計すると、ここでの支払総額は約11億円ということになります。

第4形態

さて、ここから先はケタが変わります。とりあえず、鎌倉上陸から都心部へ向うまでは避難がそれなりになされ、人的被害は軽微とします。

被害が大規模に発生するのはやはり熱焔と熱線の放出からでしょう。ゴジラは東京駅近くで活動を停止しますが、それまでの熱焔と熱線の放出によって、新橋、虎ノ門、永田町、銀座(少なくとも4丁目)が火の海と化します。東京駅を中心に半径2km以内に致命的な被害が生じるものとします。区でいえば千代田区・港区・中央区にわたります。

これらは特に人の集まる地域であるため、人口比では、実際の面積よりも多めに、千代田区の7割、港区の5割、中央区の9割が被害を受けるとします。ここで被害想定は実際の人口ではなく昼間人口を用いるべきです。少し古いですが、東京都については平成22年(2010年)の区別昼間人口のデータがあり、

  • 千代田区:819,247人(夜間人口47,115人)
  • 港区:886,173人(夜間人口205,131人)
  • 中央区:605,926人(夜間人口122,762人)

となっています。この昼間人口の半分がすでに避難していたとしても、被害対象者総数は78万人となります。この半数が生存していたとして死亡者は39万人。保険金支払額は約4.2兆円となります。2015年度中の業界全体の死亡保険金支払額(災害保険金を含む)が約2.9兆円と比べてみるとその金額の大きさが分かります。

もうこれ以上は計算しませんが、上記の試算ではまだ足りません。被災地域にいて生き残った残りの半数に対する入院給付が発生します。特にゴジラは放射線を発するため、急性放射線障害の発生により治療が長引くことも考えられます(映画では半減期が20日程度であることが判明する場面が出てきますが、そこは今後の除染等への影響であって、急性被爆の影響が小さいことにはなりませんからね)。


さて、ゴジラによる保険金支払の想定をざっくりとしてみました。ここまでで想定していない被害想定として、次のような運用面への影響があります。

  • 投資用不動産の損害(被災地域はオフィス地域であり、生命保険会社の持ちビルも多数あると思いますので、これらの賃料収入の喪失と修復費用が大規模に発生します。一方で東京地域以外の不動産価格が上昇していることがほのめかされてもいます)
  • 経済環境の影響(劇中でも国債や為替が暴落しているというセリフが出てきます。国債価格の下落は生保の経済価値的にはプラスかもしれませんが、その前にバランスシートの傷みが大変なことになります)

そして何より、被災地域には生命保険会社の本社が集中しています。その意味では、そもそも本社が機能を喪失した状態で保険金支払ができるのか、というBCP的観点が最も重要ですね。

最近「エマージング・リスク」ということがたびたび言われます。現在は起こることが思いもつかないが、起こる可能性がある事象で、ひとたび起こると大きな影響があるリスクのことであり、要するに「想定外を想定せよ」ということです。さすがにゴジラが東京を襲うことを想定するのは荒唐無稽に過ぎますが、こういった作品をきっかけにしてリスクのヒントにする、というのはあり得ると思うのですが、いかがでしょうか。

2015年3月10日 (火)

映画「アメリカン・スナイパー」

映画評サイトというのは、合う合わないということもあって、参考にするということは少ないです。しかし、評者に同意するかどうかは別にしてもついつい見てしまうという映画評サイトがいくつかあります。

個人的には毎年「この映画はいったい誰が観に行くんだ!?大賞」(誰映)を主宰している破壊屋さんのサイトが大好きですが、「前田有一の超映画批評」もよく見ます。残念ながら前田氏の評価と意見が合うことはあまり多くないのですが、この「アメリカン・スナイパー」で100点満点をつけていたのはまったく同意です。

本作は実在のスナイパー、クリス・カイルの実話を元にした作品です。彼はスナイパーとして米国随一の実績を残し、「伝説」と呼ばれるのですが、実話が元になっていることもあり、この映画はいわゆるヒーロー物とは一線を画しています。何よりも作中で「伝説(レジェンド)」がクリスを揶揄する言葉としてしばしば出てくるのです。

クリスは米国海軍の特殊部隊であるSEALSの隊員です。SEALSはその名称の中に"SEa" "Air" "Land"が含まれるとおり、海軍所属でありながら陸・海・空なんでもこなします。実際、映画の中では海軍らしい活躍場面は何一つ出てくることはなく、クリスが活躍するのはもっぱら地上戦であり、近くの建物の屋上から物陰のテロリストを狙撃することによって仲間を援護します。ただしそれだけでなく、突入に参加することもしばしばです。

しかし、狙撃する(狙う)ということは狙われることと表裏一体です。狙撃実績に優れたクリスは、テロリストから賞金首をかけられ、狙われる立場になります。そしてそのことは精神的に過剰な負荷を生み、米国に戻ってきて家族と生活する中でも歪みとして現れます。テキサス男として育てられたクリスは、父から「世の中には羊と狼と番犬がいる。お前たちは羊を狼から守るヒーローたる番犬となれ」と聞かされて育つのですが、彼は自分が誇りある番犬になれたのかに苦悩します。そして、彼は同じように歪みを抱えた元軍人を支援する活動を行いますが、最後にはその活動が悲しい結末を引き起こします。

これまでは米国の戦争映画と言えば、太平洋戦争あるいはベトナム戦争が主な題材でした。これらの戦争を経験した人もまだ多くいますが、少なくとも私にとっては「歴史上の出来事」でしかありませんでした。それに対し、この「アメリカン・スナイパー」は9.11同時多発テロ事件を契機としたイラク戦争が主な場面であり、歴史上の出来事のように感じられた「戦争」というものが未だに身近で起こっている(そしてそれはベトナム戦争の泥沼ぶりを繰り返しているようにしか思えない)という事実が、何とも言えないやるせなさを感じさせるものでした。

軍人であるクリス・カイル本人が述べた内容を原作とするため、これは反戦映画ではないのでしょう。しかし、多くの関係者にとって記憶が新しすぎるためか、演出については非常に抑制された印象を受けます(特にラストシーンとエンドロール)。そのことが逆にとても強い「反戦」の印象を残すように感じられました。

いい映画です、おすすめです、でも、2回観るのはつらい。そんな映画です。

原作の文庫版です。もともと「ネイビー・シールズ最強の狙撃手」という書名で単行本が出ていたのを、文庫版で改題したものです。本文は基本的にクリス本人によるものですが、ところどころにクリスの妻タヤの述べた部分が挿入されており、戦地にいる者とその家族との意識のすれ違いを見ることができます。

2014年12月28日 (日)

映画「寄生獣」

Wikipediaのエントリ以上のネタバレはしていないつもりです)

今さらではありますが、映画「寄生獣」を観てきました。

映画『寄生獣』公式サイト

ご存知のとおり原作は1980年代に連載されたマンガです。映画化の権利は一度ハリウッドが取得したらしいのですが、結局ハリウッドでの映画化はなされず、日本で山崎貴監督によって映画化されました。

有名マンガの実写映画化というのは残念な評判になることが多く、この作品も、前田有一氏の「超映画批評」では失敗作と評されていたりします。まあ、マンガがアニメになったときに「声が違う」と感じたりするのと同じようなもので、有名作品だとなおさら思い入れが強かったりして、想像していたイメージとの乖離を不快に感じる人が多かったりするのでしょうね。

で、マンガ「寄生獣」は私の大好きな作品の一つではありますが、映画の方はそれほどダメ評価をつける感じでもないんじゃないの、というのが私の感想です。原作は全10巻という長い話で登場人物も多く、かつ全部の話がつながっているため、これを映画として可能な長さの脚本にするのは大変だっただろうと思います。その点でうまくまとまった作品だと思います。ただ、やはり不満の残るところもあります。原作との比較を含め、いくつか感想を書いてみたいと思います。

  1. ミギーがコミカルすぎる
    これは至るところで言われていますが、声の役が阿部サダヲという時点でどうしてもコミカルな印象が拭えず、ミギーの無機質さが感じられないのは残念でした。このあたりはアニメ版のほうが雰囲気が出ています。
  2. なぜ田宮良子の父親が出てくるのか
    パラサイト田宮良子のもとに、実家から親がやってきます。このシーンは原作でもあります。
    Tamiyaryoko_mom
    ところがこのシーン、原作では母親のみが上京してくるのに対し、映画では両親が出てきます。
    でも、ここは田宮良子が「母親」というものについて考えることになる大事な場面なんですよ(「母親」はこの作品の重要なテーマで、原作でも映画でもその重要性は強調されています)。なんで父親を一緒に出して、重要なテーマをわざわざ薄めるようなことをしたのか? 謎です。
  3. 新一の母親はなぜ出て行ったのか
    映画では泉新一の家は母子家庭になっています。登場人物を絞り込んで話をうまくまとめるという意味ではよい方法だとは思ったのですが、その結果、母親が新一を刺した後、わざわざ家を出て行く理由が分からなくなってしまっています。ここは原作をなぞるのではなくて、もう少しストーリーに工夫がほしかったと思うところでした。
  4. イヌはちゃんと埋めよう
    原作「寄生獣」の中で、最も印象的なセリフの一つはこれでしょう。
    Inunokatachiwoshitaniku
    死んだ子犬をゴミ箱に捨てた時に吐くセリフです。パラサイトの無機質さと、それに感化された新一をたったこれだけで表しているのは素晴らしい。当然ながら、映画でも同じセリフが出てきます。
    しかし、原作の新一はこの後に子犬の死骸をゴミ箱から取り出し、木の根元に埋葬してやります。新一が人間としてどう行動すべきだったかを反省する大事なシーンですが、映画ではそのシーンがないので、このセリフのもつ意味が中途半端に途切れちゃってます。
と、批判ばかり書いていますが、全体としての脚本はよくまとまっていたと思いますし、特にAの役割の変化と、クライマックスの母親との対決の場面はよかったと思います。俳優陣もよかったし、完結編も観ちゃうんだろうなあ。

2013年9月22日 (日)

「半沢直樹」での金融庁検査

大人気ドラマ『半沢直樹』、本日最終回を迎えてしまいました。その意味では手遅れ感の漂うタイトルではありますが、最終回を観る限り続編フラグ立ちまくりなのでエントリ上げることにしました。

このドラマについては視聴率の高さもあって、いろいろなところで記事やコラム、ブログエントリなどが見られますがが、金融専門雑誌「金融財政事情」の今週号(2013.9.23号)でも『「半沢直樹」にみる金融庁検査の虚実』という見出しで取り上げられていました。

(2013.9.27追記:「きんざいデジマガ」にこの記事が載っているのに気付いたので、リンク張りました)

まあ、当初からTwitterの金融クラスタでは、放送と同時進行でさまざまなツッコミが入っていたのですが、週刊金融財政事情の記事はその総まとめのようなものが、しかも真面目に語られており、笑いが止まりませんでした。中でも笑ったのは、金融庁検査に関係する資料を半沢が自宅に隠し(ドラマでは「疎開」と言っています)、それを金融庁が探しに行くというシーンについての次のくだり。

現実には金融庁の検査官が銀行の職員の自宅にまで出向くことはない。完全に任意であればどうかとも思われるが、検査官に確認したところ、「そもそも自宅にいくために職員に協力を求めることすらありえない」とのことだった。

いやあ、「検査官に確認したんかい!」と、思わず声に出してツッコミ入れそうになりました(ちなみに記事にも書いていますが、この疎開という行為は「検査忌避」に相当する犯罪行為です)。

で、つい、こんなツイートを。

しかし、冷静になってみると、実際、金融庁の方々にとっては忸怩たる思いを感じるドラマのかもしれないな、と思うところがあります。

というのも、このドラマの原作である「オレたちバブル入行組」「オレたち花のバブル組」の単行本が発行されたのが、それぞれ2004年と2008年。つまり、ドラマの最初は、ほぼ10年前の話なわけです。原作者の池井戸潤氏が銀行に勤務していたのはもっと前になります。当然ながら、その頃とは金融庁のスタンスも大きく違うと思われます。

特に最近、金融庁は検査に対する方針を大きく変えています。その一つの例として、従来は1年間の検査の方針を「検査基本方針」として公表していたのを、今年度からはオンサイト・オフサイト一体のものとして「金融モニタリング基本方針」として公表するようになりました。それに関する金融庁のスタンスを端的に表す言葉が、麻生金融担当相の9月13日の記者会見に現れています。(太字は引用者)

(前略)こういった問題に的確に対応していくというためには、少なくとも今までのようなモニタリングと称する実態把握とか、検査とかいろいろやっていて、「金融処分庁」とかというようなありがたくない名前も頂戴していたわけですから、そういったものを抜本的に見直して、いわゆる「金融育成庁」というような意味で、少なくとも内容を、少し基本方針の内容というものをそういった方向で考えていかないといけないのではないかということで、私共としてはああいった基本方針を発表させていただいたというのが経緯です。

ドラマ「半沢直樹」で描かれている金融庁はまさに銀行の揚げ足を取る「金融処分庁」なので、そこから脱しようとしている金融庁にとっては、このドラマは「金融庁はイヤな奴らの集まり」みたいなイメージを植え付ける存在として、どうにも微妙に感じられたかもしれません。

大蔵省時代は金融機関と監督当局のコミュニケーションがあったのですが、それはノーパンしゃぶしゃぶのような歪んだ形の部分がありました。その反動もあって、その後は金融機関と監督当局のコミュニケーションがほとんどない状態が長く続いてきました。その結果、ミスコミュニケーションから生じる認識の食い違いが、お互いに過剰な反応を引き起こしてきた面がいろいろとあったように思います。そこが最近は再び修正されつつある状況になってきているのではないでしょうか。

当局から民間に転職した人がまた金融庁に戻るという人事も最近になって発表されました。

これをもって「民間の考え方を金融庁が聞こうとしている態度の表れだ」と即断するつもりはありませんが、風向きの変化は何か感じられるように思います。

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