書評:中央銀行―セントラルバンカーの経験した39年
日本銀行前総裁、白川方明氏による大著。昨年内になんとか読み終わっていたのですがなかなかブログエントリにできずにおりました。
まずなんといってもそのページ数。841ページあります。全体は3部構成となっており、第1部が総裁就任まで、第2部が総裁時代、そして第3部が「中央銀行の使命」となっているのですが、白川氏自身の経験を語る部分(第1部と第2部)とその経験を通した白川氏の中央銀行論(第3部)の大きく二つに分かれているといえます。
総裁を含む日銀マンとしての白川氏の経験は1972年からスタートしているので、1980年代のバブルの拡大とそこからの崩壊、1990年代末~2000年代初頭の金融システム危機、2008年の総裁就任直後からはリーマンショックに代表されるグローバル金融危機とそれに続く欧州債務危機、2011年の東日本大震災と、金融システムの安定を担う日本銀行にとってはまさに激動の時期を過ごしてこられたことが自身の体験として生々しく(でも白川氏らしい冷静な筆致で)書かれています。
しかし、このような中で比較的目立ったのが、1998年の日本銀行法の改正に1章を割いて書かれていたことです。特に、この改正日本銀行法の下で明記された「中央銀行の独立性」の解釈については、改正法の施行以降もさまざまに検討を深めていたことがわかります。
金融政策について独立性を保ちつつ(つまり政府の言いなりにならず)専門家としての責任を全うするための努力を怠らない一方で、日本銀行職員が民主的手続きにより選ばれた存在ではないことを踏まえた謙虚さを持たねばならない。白川氏がそのバランスの中でどうあるべきかを常に意識していたことが本書全体から感じられます。白川氏の前任総裁の福井氏が「アートの人」、対して白川氏が「サイエンスの人」と言われたりしますが、本書を読むと「サイエンスの人」らしく思索を深めて政策スタンスを決めていたであろうことが伺えます。
また、「失われた10年」「失われた20年」と言われるようになってからは、日本銀行に対する批判が強まり、政治からの金融政策への介入的発言も多くなってくるのですが、このことに対しての戸惑いや反発のトーンが本書ではしばしば見られます。特にデフレから脱却できないことが日銀の無策として批判されることがありますが、それに対してデフレという単語が適切に定義されないまま使われていることに困っている様子を読み取ることができます。
結局、多くの国民がデフレという言葉からイメージしていたのは、雇用不安や将来の生活に対する不安であり、「デフレ脱却」とは、そうした状態が良い方向に向かうようにしてほしいという気持ちの表明であった。
経営学者の三品和広は、「キーワードには思考を止める力がある。何となくそうだなと人々が受け容れた次の瞬間から、あらためて「なぜ」を問うことなど許されない空気ができてしまうのである」と述べているが、「デフレ」という言葉はまさにそうした効果を持っていた。
このような戸惑いは他にもいわゆるリフレ派について述べられています。
「大胆な金融緩和を行えばデフレは解消する」という「リフレ派」や「期待派」の主張は、データにもとづいて反証することが不可能な命題であったことも対応を難しくしていた。マネタリーベースの著しい増加は国会等でも頻繁に取り上げられたが、当時もリフレ派の主張どおりの結果をもたらしていなかった。だがその場合でも、「マネタリーベースの増やし方が不十分」、「効果的な情報発信を日本銀行が行わなかった」、「増やさなかったら状況はもっと悪くなっていた」という主張がなされるのが常であった。結局、反証不能な命題である以上、議論はいつまでも平行線をたどらざるをえなかった。
こういった「デフレの定義の不明確さ」や「リフレ派の反証不能性」といったあたりのコメントがいかにもサイエンスの人らしいのですが、それらに対する嘆きっぷりが(サイエンスの人でありながら)妙に人間くささを感じさせて親しみをおぼえます。
さて第1部・第2部での白川氏自身の経験を踏まえて「中央銀行の使命」について述べられる第3部ですが、上述のとおり、きっちり思索を深めて論理だてて説明がなされ、しかしところどころ嘆き・ぼやき・反発といった人間くささがにじみ出る第1部・第2部に続く部分として、まるで眼前で白川先生の講義を聴いているような気分になります。その内容は多岐にわたりますが、中でも印象的だった、セントラルバンカーとはどのような存在かということを述べた一節を引用します。
選挙によって選ばれたわけではない一群の専門家(unelected officials)が、国民生活に大きな影響を与える政策を実行する権限を行使できるのはなぜなのだろうか。(略)実質的には、私は2つのことが大事だと思っている。ひとつは物価の安定や金融システムの安定の重要性に対する国民の理解と支持である。(略)もうひとつは、中央銀行という組織やそこで働く中央銀行の役職員、セントラルバンカーに対する信頼である。
中央銀行や中央銀行家(セントラルバンカー)の仕事を説明するために、他の職業が比喩的に用いられることは少なくない。(略)
類似した職業を敢えて探すとすれば、私は医者ではないかと思う。医者が人間の健康回復を目指すのと同様に、中央銀行は経済の健康、つまり物価の安定と金融システムの安定を目指すという点で似ているが、最大の類似点は、自らの提供するサービスのユーザーとの継続的な信頼関係なしには、仕事が成立しないことである。
これは国民生活への影響度こそ違うものの、セントラルバンカーに限らず、専門家と呼ばれる人々が常に意識すべき一面を表しているように思います。
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